私が現在のシカゴ日本人会(CJC)の会長に就任させて頂きました時代、当会の名称は「ミッド・アメリカ・ジャパニーズ・クラブ」であり、会員及び中西部の日本人の方々には「マジャック(MAJC)」と言う呼び名で親しまれていました。
当会の発足はこれまでも歴代会長の皆さんから詳細な説明がありました通り、1993年3月にボランティアの方々によって設立されました。
私が会長の任をお引き受けさせて頂きました時、当会のこれまでの歴史の重さに加え、役割の重要さにかなり緊張したことを覚えています。
当会の会長をお引き受けする前の4~5年程度は会の理事を経験し、会の目的である地域に住む日本人との親睦、相互扶助、またシカゴ日系人一世、二世の方々の歴史等を勉強しました。当会が目的としている地域社会への貢献活動、日米親善の促進、文化交流の輪を広げる活動は会員の皆さんとの共通認識となっていました。
過去、会の運営にあたり理事会ではいろいろな課題について話をしました。その中の一つに、現在の会の事務所は手狭であり、会員がもっと気楽に立ち寄って話ができたり、お茶の集まりができたり、読書ができるような ”日本人会館(仮名)” を作ってはどうかとの話に熱が入ったことを覚えています。
そのためにも、資金集めがしやすくなるよう慈善団体の資格を取得する方向で理事並びに役員の方々が努力されました。その結果、2009年7月に長年の念願でした慈善団体の資格であるUS 501(c) (3) Non-Profit Charitable Organization の認可をIRS(米国税務局)から頂きました。これにより会員または一般人の方々から頂く当会への寄付金は全て非課税対象となり、会の活動資源として大きく貢献できることになりました。
”日本人会館(仮名)”の具体的な検討は他州の日本人会の実例を参考にし、サイトセレクション、購入物件の検討作業等を2~3年程度おこないました。
しかし、資金源には限度があること、また会員の方々の住まいがシカゴ郊外だけでなくグレターシカゴ圏に広く分散しているなど、せっかく建物が完成しても、どの程度、会員の皆さんにご利用して頂けるか不透明であったため、このプロジェクトは残念ながらクローズすることになりました。
しかし、このプロジェクトは夢でなく、将来、後継者の皆様の手でシカゴにも”日本人会館(仮名)”があると言うことを実現して頂ければ嬉しい限りです。
日本人会の主なる年間活動としては、現在も継続しているヤードセール、各種セミナー、ゴルフ大会、忘年会、お助けマン等が有りますが、この一つ一つが素晴らしい活動で、皆さんから喜ばれていますが、この辺の話は現在もあまり変わりがないので、割愛させて頂きます。
敢えて書き加えれば、当時会員の中にアーリントン競馬での観戦を希望する方々がいたので、競馬の観戦会を実施しました。天気も良くピックニック気分を味わった楽しい時間でした。残念なことに2023年に当該競馬場は取り壊しとなったため、この行事は一つの歴史となりました。
私の会長時代、特に年間行事で思い出深いのは、5月のスコーキー市で開催された国際文化際に日本のコミュニティーを代表し、文化の紹介に努めたことです。地域の子供たちが日本人会のブースに立ち寄り、日本のおもちゃに手を触れたり、また、習字でアメリカ人の子供さんの名前を短冊に書いて差し上げたりしたことが、地域の方々にとても親しまれていました。
また、6月の当会主催の日本祭りは会員のほとんどの方々の協力により進められました。会場はアーリントンハイツ市にあるForest View Educational Centerをお借りして土曜、日曜の二日間にわたり開催しました。毎年2日間で約6~7千人以上の入場者がある日本祭りは、この会のメイン・イベントとして会員並びに非会員ボランティアによって運営されました。
日本祭りでは、開催の前日から会場のアレンジメント、デコレーション、各ベンダーの区割り配置等の作業が始まり、日本祭り開催中の2日間は、ボランティアの方々が各展示物の説明などで活躍し、この祭りを素晴らしいものに盛り上げてくれました。
また、日本祭り会場では音楽、舞踊、茶道、華道、弓道、武術、太鼓、金魚すくい等に加え、食事の方でも日本食レストランがお店を出し盛況な賑わいでした。
2010年の日本祭りにはアーリントン・ハイツのアーリン・マルダー (Arlene Mulder) 市長をはじめジェシー・ホワイト (Jesse White) イリノイ州務長官の来場もあり、会場の皆さんと一緒に日本の伝統文化・芸術等を楽しいで頂きました。
特にジェシー・ホワイト州務長官は、当時イリノイ州の公館の方々と共に日本を親善視察したこともあり、日本の素晴らしさをご自身の体験談も交え、来賓挨拶で語って頂きました。
お話しの中で、自分が日本で乗った電車やバスには老人用及び障害者用優先席があったこと。そして、自分はこのアイデアをさっそくシカゴのバス、CTA(電車)に採用するよう指示したことを誇らしげに語った点が印象的でした。現在シカゴのバス、CTA(電車)にシニア・シートがあるのはこんな話の背景があるものと思います。
次の写真はジェシー・ホワイト州務長官が日本祭りの会場で神輿(みこし)を担いで楽しんでおられる姿です。なお、この神輿は会員の正子ナガビ (Masako Naghavi) さんの手作りによるもので、精巧に作られた作品を日本祭りのために提供して頂いたものです。
日本人会の新年会の会場選びは毎年会員の方々に喜んでいただける場所を選定し、さらに料理の選択には理事並びに役員の方々があらゆる知恵を絞り決めていました。
2010年の新年会はヒルデール・ゴルフ場 (Hilldale Country Club) 内にある日本館で120名が出席して開催されました。この場所は駐車場が広く、最悪大雪でも除雪は素早くして頂けること。また、料理は新年にふさわしいお節料理が楽しめるよう準備されました。そうしたお陰で、この年の新年会は賑やかに開催されました。
当日は久枝譲治在シカゴ総領事ご夫妻、アーリントンハイツ市アーリン・マルダー市長が出席され祝辞を頂きました。また、エンターテインメントでは二胡演奏者を招いて、普段あまり聴けない中国の伝統民族音楽を堪能しました。
当会が主催したビジネス・ラウンドテーブル(名刺交換会)も人気のあるイベントでした。毎月第二火曜日の夕方、MAJCの会議室でこのイベントは開催されました。
ビジネス・ラウンドテーブルは地元で活躍している個人企業のオーナー、不動産会社、人材会社、フリーランスの方々、保険・金融関係の方等が集まり、日頃困っているビジネス関係の問題点、またはお役に立つ情報等を参加者の方々が気軽に共有することが目的で開催されました。時にはJCCC会員である企業の方々も参加されていました。
毎回30~40名程度の参加者があり、夕方6時頃に集まり、立食をしながらお話したり、またテーブルを囲み、決められたトピックを参加者が議論することで、各人のビジネスに役立てました。また、各種セミナー、コンピュータ・クラス等の勉強会も開催されました。
また、料理会も人気があったイベントの一つで、会員の方々の自慢の料理を披露するチャンスの場を設けました。会場はゲイリー・モラバ・リクレーション・センター(Gary Morava Recreation Center)で開催しました。15人以上が素晴らしい料理が持ち寄り、テーブルに並べられた料理はどれもプロ顔負けの料理でした。
約40名の参加者が各テーブルの料理を試食して回り、評価する方法でしたが、料理の内容がとても幅が広く、日本料理からイタリアン、フレンチ料理等、日頃なかなか食べることのできないグルメ食がありました。
各料理人からレシピーの紹介もあり、メモを取った参加者から、とても勉強になったとの評価を頂きました。
最後に、この機会をお借りしてシカゴ日本人会発足当初から会のイベント(催し物)を度々記事にして頂きましたシカゴ新報の皆様に感謝申し上げます。
今回の様に、当会の歴史を紐解く上で「シカゴ新報」の資料が大変役立ちましたことを付言させて頂きます。
「シカゴ新報」は紙媒体で私自身も毎回楽しく購読していましたが、残念なことに現在に至っては紙媒体が無くなり、時代の流れで電子配信となりましたが、引き続き楽しく購読させて頂いています。