亀田 トニー達夫(第9代会長)

Memoirs

この回顧録は2024年8月2日にシカゴ日本人会(CJC)の新オフィスにて亀田氏にインタビューをおこない、その内容をまとめたものです。

CJC「亀田様は、どのような経緯でアメリカにいらっしゃったのですか?」

亀田「1982年に商社に勤めていた関係で日本からアイオワに来ました。そこからネブラスカ、そしてテネシーを経て1986年にシカゴに来たのです。年月の経過は早いもので、渡米から40年以上が過ぎ、私は今年で72歳になりましたが、元気で毎週ゴルフを楽しんでいます!」

CJC「MJAC(マジャック、CJCの母体)に入会された経緯をお聞かせください」

亀田「藤川さん(藤川定之第二代会長)が会長在任中に、竹内さん(竹内清太第三代会長、その当時はビジネス部会長)の下でビジネス部会に入会したのが最初です。ゴルフが私の趣味で、その時のゴルフ友達(会員)から誘われて入会しました。1997年には理事になり、長い間スポーツ部会やビジネス部会担当の理事を務めました」

CJC「長い間、理事としてCJCに貢献していただいて本当に有り難く思います。理事の時代の思い出をお聞かせください」

亀田「この会のゴルフコンペを通じて、会員以外の方々と知り合うことができ、ゴルフが縁で新しい会員になってくれたり、知り合った方の会社からご寄付を頂いたりと、ゴルフを通じた活動にはよい効果がありました。趣味でゴルフを楽しみながら、同時にCJCにも貢献できたと思っています。また、私は長年保険ビジネスに関わりが深く、仕事を通じて多くの方と繋がりができたお陰で、日本祭りの際にそうした方々からCJCへ温かい寄付を募ることができた点は幸いでした。振り返ると、そうした貢献ができたことが良かったと思います。日本祭りに関連した思い出をもうひとつお話しすると、水内康雄さん(プロのシェフ)が会場で販売する照り焼きチキンをシカゴ市内にある平和テラスで料理し、当時日本祭りの会場だったボタニックガーデンまで運びましたが、これが来場者にとても好評だったことも懐かしい思い出です」

CJC「亀田さんが中心になり、日本祭りの寄付はそうして地道な努力で集められたのですね。長年のスポーツ部会の活動が実を結んだ点も印象的です。ご苦労さまでした。一方、現在はスポーツ部会の活動が積極的にできないことが残念です。また平和テラスからボタニックガーデンまではかなりの距離があります。照り焼きチキンを温かいまま運ぶのも大変でしたね」

亀田「自分の仕事との関わりもあって、CJCへの手伝いは無理なくできましたね。寄付集めのため、車でロックフォード方面まで行ったりもしました。大変ではありましたがどれも楽しい思い出です」

CJC「では、会長に就任された経緯をお聞かせください」

亀田「2018年にMAJCの創立者の荻野敏雄さん(初代会長)に頼まれました。最初、自分は補佐役が向いていると思い強くお断りしました。ところが荻野氏がメンバーであるインバネスのゴルフクラブで食事に招待されて、そこで再び会長就任を依頼され、とうとう断り切れずお引き受けました。実は、私は白瀧精彦さん(第4代会長)が会長だった時に専務理事を務めましたが、病気が理由で任期途中に退任することになり、負い目を感じていました。そうした経緯があって、恩返しのつもりでお引き受けし、2年間なんとか頑張ってみようと決心しました。会長就任以前から理事を務めていた方々に加え、新たに約8名の理事を募り船出となりました」

CJC「会長として在任中の思い出についてお聞かせください」

亀田「役員のメンバーが本当によく助けてくれたことが印象に残っています。土屋裕敬さんは会計担当の役員でしたが、運営の相談に乗ってくれたり、遠方の理事・役員が夜の理事会に参加しやすいようにコロナ前からいち早くZOOMを導入したり、会計業務の効率化を進めたり、会則の改定プロジェクトにも加わったりとよくサポートしてくれました。坂下直美さんは企業で経理の経験が豊富で、CJCの会計業務を安心して任せることができました。須藤順子さんは「フリーマーケット」(Flea Market/Yard Sale)をゼロから立ち上げ、「姉御肌」の性格を存分に発揮してくれたお陰で、このイベントは大成功を収め、その後もCJCの恒例行事として定着しました。ジュレティック(Juretic)由紀子さんは先代の会長の時代から継続して役員を務めてくれた方で、CJCの運営について経験を活かした貴重な意見を度々述べてくれました。また実務にも機敏で様々な面で助かりました。ナガビ(Naghavi)正子さんは、ピクニックやカラオケ大会などのイベントでは先頭に立って進めてくれました。会員同士の交流を深める上で欠かせない人でした。また理事の皆さんからも丁寧なサポートがあり、どれも有り難い思い出です」

CJC「在任中はコロナの影響もあり、苦労された点もあったのではありませんか?」

亀田「その通りです。恒例の新年会が一度しか実施できず、各種会合はZOOM形式に変わったため、対面での活発な意見交換ができず苦労しました。コロナ前は桃山容子医師(理事)、吉田美紀さん(理事)、その他の方がCJCの会議室や他の場所でセミナーを開き、非会員の方も多く参加され、それが新会員の加入に大きな効果があったばかりか、CJCの存在も広くアピールできました。コロナ以降、そうした活動ができなくなった点が残念でした」

CJC「しかしコロナ関連のセミナーをZOOMで開いたり、会員にマスクを配布したり可能な限り努力されましたね。ところで、フリーマーケットが始まった経緯をお聞かせください」

亀田「まず開催に至る背景ですが、MAJCはシカゴ日系人社会の伝統である「日本祭り」を長年開催してきましたが、主催団体がシカゴ日本商工会議所(JCCC)に移ったため、それに代わるイベントを始めてはどうかという提案が理事会になされ、それが承認されました。開催が決まると役員の須藤順子さんが持前の行動力で、ミツワマーケットに隣接する会場を確保するため土地所有者と面倒な交渉をおこない、さらに具体的なプランの作成など、何から何まで先導役を務めてくれました。それとは別に、このイベントでは会員の皆さんに一般からの寄付集めを協力してもらい、フリーマーケットからの収益も含め、他の活動資金に充てることにしました。すべてが初めてのことで戸惑いもあったのですが、2日間に渡り予想を遙かに超える来場者があり大成功でした。日本人コミュニティのフリーマーケットに行くと『いい掘り出し物がある』という評判もあってか年々盛況になってきた印象です」

CJC「2024年のフリーマーケットは5回目になりますね。他に会長として印象に残る思い出はありませんか?」

亀田「アーリントンハイツの市役所を訪問し市長に面会を申し込んで、その場では会えなかったのですが、その年の新年会から来賓としてご参加いただけるようになったのは良い思い出です。しかし一番の思い出は2年間会長としての役目を大過なく過ごすことができ。その点は多くの方々に感謝しています」

CJC「最後に、将来に向けて何か提言はありますか?」

亀田「まず、ZOOMを使った理事会や会合では、自由な意見交換ができにくい側面があります。理事・役員すべての意見を汲み取れるように今後の運営では配慮していただきたいことと、2点目は、私は理事の任期を2期4年に限定する必要はないという意見です。役員は別として、理事をより長く勤める利点は多いと思います」

CJC「本日は貴重なお話をお聞かせいただき有り難うございました。また、常日頃、ボランティアとしてCJCを助けていただき、その点にも感謝しています。これからもどうぞお元気でご活躍ください」

Copied title and URL