CJC会長 回顧録
第8代会長 吉池 学
2012年に荻野敏雄さんから「日本祭り」を手伝って貰えないかというお誘いを頂き、それがシカゴ日本人会(Chicago Japanese Club, 以下CJC) に入会する切っ掛けになりました。翌2013年には「日本祭り」実行委員長に指名され、その後、2015年にCJC会長に推挙され、2019年4月まで2期4年間に渡り会長職を務めました。入会からの7年間は色々な経験をさせて頂き、大変有意義な時間を過ごすことができました。ここでは「日本祭り」を中心としたCJCの変革について述べたいと思います。
[1] 2012年の日本祭りは準備の途中から私自身は参画しましたが、2013年の理事会ではCJC独自で日本祭りを行うことは難しいため、他団体と共催または合同で行えないかとの意見が多くあり、検討しながら進めて行くことにしました。他団体の第一候補者であるシカゴ日本商工会議所(JCCC)が「元大関小錦関のちゃんこ鍋とチャリティーコンサート」の企画を検討していたこともあり、CJCの日本祭りをJCCCと合同で行う提案を申し出たところ、日程も合致し、初めてJCCCとCJCとが合同で日本祭りを行うことになりました。ところが、従来の日本祭りの会場であるForest View Educational Center (FVEC)が2013年春から補修工事を開始する計画があり、その年は使用できないことが判明し、再度会場探しに奔走したものの、会場がなかなか決まらずヤキモキしましたが、FVECの担当者の強烈な紹介を頂いたことで、やっとElk Grove High Schoolに決定することができました。
元大関小錦関の人気が観客動員数に大きく貢献し、日本祭りは久々に盛り上がり、また、この年の日本祭りはTV Japanの取材も受け、その映像が放映され大盛況のうちに終了しました。実行委員の皆様、ボランティアで参加してくれた方々全員が一丸となって盛り上げてくれました。
[2] 2014年の日本祭りの会場は従来のFVECに戻り、再び、JCCCとの共催で日本祭りが執り行われました。この共催によりCJC単独では思いもつかない斬新な企画、例えばJ-Pop Concert(Daichi:ヒューマン・ビートボクサー&彩音Ayane:アニメシンガー)やRamen Restaurant Alley (JFC-明星Ramen、Misoya Ramen、Slurping Turtle、山ちゃんRamen、Benihana)まで新企画はどれも大当たりとなり、各ラーメンの店舗では長蛇の列ができる人気ぶりで、次々と完売となったほどです。また、FVECの体育館で開催されたJ-Pop Concertには多数の観客が押し寄せたため席が不足する事態となり、当日、大急ぎで200席追加する羽目となりました。
(写真1)
この年の日本祭りは参加者が史上初めて7000名を超え、最多観客数を記録しました。(写真1.)同時に、日本祭りにこれほどの成果をもたらしてくれたJCCCの実力や豊富な人材、企画力や資金力などに圧倒される思いがしました。
[3] 2015年4月、私はCJC会長に就任し、以前からに気なっていたマンネリ気味の理事会を活性化するため、男性中心の理事会から女性中心の理事会に変え、女性7名(内訳:役員2名、理事5名)を含む新体制で運営を開始しました。
新企画として、New Jersey州の日本人会の紹介を得て、市川俊治氏をお招きし「年金、国籍、老後の日本帰国」の講演を開催。参加希望者が200名を超えたため、急遽、会場を教室から劇場に変更しました。一方、参加者の半分近くがCJCの非会員であったため新会員の勧誘にも力を入れ、一時的に新規会員数が数十名も増えましたが、その1年後、新会員の半数は辞めてしまいました。
2015年の日本祭りの開催はシカゴ日米評議会(Chicago Japanese American Council, CJAC)の初参加を得て、JCCC/シカゴ日米評議会/CJCの合同共催となり、JCCCの希望で会場はArlington International Racecourse(AIR) 競馬場で執り行われました。特別な宣伝もせず、競馬場への来場者を日本祭りに呼び込む狙いもありましたが、結果は展示場所の問題や競馬場特有の規制の問題などが立ちはだかり、競馬場での開催は期待外れの結果となり、数々の反省点を残しました。当日、AIRへの総入場者数が19,921名もいた一方、日本祭りに立ち寄った人数を具体的に把握できなかったため、今後、この会場で日本祭りの開催は非常に難しいとの判断を余儀なくされました。
[4] 2016年日本祭りについては、従来、CJCが主体となり他団体との共催、または合同主催を提案し実施して来ましたが、この年からJCCCの所属団体の一つであるシカゴ日米評議会が名実共に主体となって日本祭りを開催する運びとなり、古くはシカゴ日系人会に始まり、前身のMid-America Japanese Club (MAJC) が継承し、CJCが発展させてきた日本祭りを完全に移行することになりました。
その背景には、在シカゴ日本国総領事館のご提案もあり、今後はシカゴ地区の日本人、日系人コミュニティーの一大イベントとして日本祭りを開催して行くため、シカゴ日米評議会傘下の団体が協同で執り行うことになりました。この年の会場はFVECに戻り、盛大に実施され、シカゴ郊外に購読者をもつThe Daily Herald紙の取材を受け、翌日の紙面に記事が掲載されたことが印象に残っています。
[5] 2017年 シカゴ日本祭りはシカゴ日米評議会の主催によりFVECを会場に執り行われ、Los Angelesの七夕Groupもボランティアで日本祭りに参加され、大きな七夕飾りを寄付して頂きました。この年も来場者の数は順調に伸び、盛況のうちに幕を閉じました。
(写真2)
日本祭りとは別になりますが、CJCが新しく企画したイベントにも触れておきます。ボストンの鮮魚卸業者である河村義之氏のご厚意で「マグロ解体ショー」を会員限定80名で執り行ないました。当日、メキシコからマグロを直輸入し、日本国内でしか食べる機会のない大トロ、中トロ、赤身が食べ放題。さらにこのイベントにはお土産まであり、参加者一同にとって大満足のイベントとなりました。(写真 2)
この「マグロ解体ショー」には、在マイアミ日本国総領事館、在ボストン日本国総領事館、 在シカゴ日本国総領事館から腕自慢の「三大シェフ」がボランティアとして特別参加し、河村氏による解体ショーの後、各シェフがマグロを調理し刺身盛り合わせを参加者に振る舞ってくれました。後日、多数の参加者からCJC事務所に御礼状が届き、このイベントがどれほど好評だったかを実感した次第です。
[6] 2018年、会場をFVECとして行われた日本祭りではカナダ人落語家の桂三輝氏をお招きし「桂サンシャイン落語独演会」を開催。劇場は満員御礼となり、特に小中学生達の笑い声が会場全体に響き渡り、この独演会は大好評でした。また、別企画である「コスプレ大会」は若いアメリカ人達から絶大な人気で、劇場に入りきれない程の観客が押し寄せたため入場制限を行うほどでした。このように2018年の日本祭りは「史上初」という形容詞がふさわしいほど盛り上がりを見せました。私たちが永年心血を注いできた日本祭りが今日のような形に拡大し、大都市シカゴの一大イベントとして定着し、毎年たくさんの来場者を集めまでに発展を遂げたことに対して感無量な思いが致します。
今後は、新しい若い世代の感覚でシカゴ日本人会を運営して頂き、シカゴだけにととまらず、近隣や他州との交流や情報交換を行い、既存の概念にとらわれず、新しい企画にどんどん挑戦していくことで、更なる発展にもつなげていって欲しいと願う次第です。