小山満氏(第6代会長)

Memoirs

We are CJC!!

2023年11月4日シカゴ日本人会の30周年記念レセプションが Double Tree by Hilton Hotel (Arlington Heights)において盛大に行われました。 苦節30年でしたが立派に成長を重ね、この会がさらなる成長エネルギーに満ちた時代を迎え得たことはこの上もなく貴重なことであり、何にもまして喜ばしい事とお祝い申し上げます。

2010年12月5日、私は遅ればせながら我が家のクリスマスライトを設置するため梯子に乗り軒下に下げる作業をしていました。前日には小雪が降り、当日は零下の気温。私が登った梯子がズルズルと滑りだし私は地面に転落。そして膝蓋骨骨折。手術のため緊急入院をすることに・・・。その後、思いもよらず松葉杖に頼りながらリハビリを続けました。

年が明けて2011年3月。私はシカゴ日本人会会長への拝命を頂きました。

その年の3月11日、日本では千年に一度といわれる天災(東日本大震災)に見舞われ、巨大津波が福島原発をも破壊。放射能が広範囲に拡散し世界は騒然となりました。その後、世界の隅々から続々と被災地救援の手が差し伸べられ、被災地では途方もない悲しみの中にあっても 「世界は一つ」 という絆を感じ、涙したことを想い出します。
そんな中、6月11日、例年6千人を超える入場者を数えるシカゴ日本人会主催による恒例の 「日本祭り」が、チャリティーイベント「がんばろう!日本」をテーマに、シカゴ在住の日本伝統芸能グループの熱い応援のもとに開催され、シカゴ商工会議所(JCCC) 内に設けられたJapan Funds による100% マッチング・プログラムの協力のもと、総額2万6千ドルもの義援金が集められ、JCCCを通じて日本赤十字社宛に送金されました。ちなみにJCCC主導によるシカゴ地区からの義援金は総額136万ドルを超える額に達しました。災害規模からみて、義援金はわずかな額ではあったものの、復興の励ましになったものと信ずるところです。

地域社会との親善及び日本文化の紹介を旨とする「日本祭り」は、シカゴ日本人会(私自身が会長当時の名称は「 MAJC」・通称:マジャック)により単独開催されていましたが、年々規模および内容ともに拡大・充実し、地域コミュニティでは人気を集める年間行事の一つとして定着するにつれ、2015年より開催主体が変更となり、シカゴの日系諸団体をまとめるシカゴ日米評議会(Chicago Japanese American Council, CJAC)の手に委ね、ローカルからグレイターシカゴの人気年間行事の一つとして生まれ変わるべく、シカゴ中心部にあるMillenium Parkにて開催されました。その結果、シカゴの近隣諸州からの多数の来場者があり、益々盛況を極めました。

シカゴ日本人会の活動の中では会員相互の親睦を兼ねた新年会、忘年会、夏のピクニック、 紅白カラオケ大会、その他各種セミナー等々年間を通じボランティア活動が絶え間なく実施されましたが、その中でも「お助けメン」 (現在の名称は「お助けチーム」)はユニークな活動で、私自身会長職を兼任しながら、この活動にも積極的に加わっていました。この活動は「ハンディーマン・サービス」の一環なのですが、なかには極めて気色の異なる緊急サービスの要請も度々あったことを懐かしく想い出します。当時を思い起こしながら、いくつかエピソードを以下にご紹介したいと思います。

それは2013年3月1日のこと。お助けメンに要請の電話が入りました。電話の主は大阪の大学生。「明日の飛行機で日本に帰る予定だが、ホテル代が払えず、ホテルから出してもらえない。日本総領事館や銀行にも電話したが、まったく相手にてくれない。何とか助けてほしい!」と悲壮な声。聞けば シカゴオヘア空港近くのモーテルに滞在中だという。我が家から近かったので出向いてみたが、彼は大阪のある大学の学生でクレジットカードの利用限度額をすでに超えてしまいホテル代を支払えず、ホテル側が解放してくれないため、このままでは明朝の飛行機には乗れないことになる。時間的に猶予のない状況であったため、私は彼の目をじっと見つめ、必ず返済するとの確約を得た上、その場でホテル代を立て替えたのである。当時は「オレオレ詐欺」の流行っていたこともあり、一抹の不安も感じていたものの、なんと2週間後、彼と家族からの礼状とともに返済の送金があった。なんとも「めでたし、めでたし」。私はホッと胸を撫で下ろした次第です。

お助けメンへの電話で、もう一件緊急を要したエピソードもご披露します。

それはある日の夜8時頃のこと。感極まった女性の声で「バスルームのお湯が止まらない。今、湯舟からお湯が溢れ出ている。一体どうしたらいいのか?」。電話口の近くからは幼児の激しい鳴き声も聞こえてくる。溢れるお湯と子供の泣き声に責められ、半ば狂乱状態のご様子。女性の家は日本企業の駐在員が多く住むHoffman Estatesとのこと。現在ご主人は出張中で不在だという。すぐに飛んで行くわけにもゆかず、地下室にある赤色の水道栓を右にひねって湯を止めること。次に、隣の人に緊急援助を頼むよう助言して電話を切った。その後、女性は言葉の問題があったが(英語が話せない様子?)、身振り手振りで意思疎通を図り、隣人に湯を止めて頂いたとの連絡が入り、一件落着。解決すればとるに足らない簡単な「事件」ではあったが、私が電話を受けた時は、電話してきたご本人も、電話を受けた私自身も切羽詰まった状況でもあり、完全に焦ってしまったことが懐かしく想い出されます。

日本人会は創設から30周年を迎えたものの、その活動は誠に微々たるものです。しかしながら2015年に国連では人類の恒久的な安寧と平和をもたらすプランの実現に向け「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals, SDGs) が採択されたことを踏まえ、日本人会のこれまでの活動は質が高く、しかも誇り高い奉仕であると捉え、今後もそうした活動を遂行してゆきたいものです。 

最後に、CJCの合い言葉と唱えつつ、シカゴ日本人会の益々の発展成長を祈ります。

We are CJC !!

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